作品概要
機動戦士Zガンダムは、「機動戦士ガンダム」の直接的な続編として作成されたガンダムシリーズ作品です。「ガンダム」より7年後を舞台に、アムロやシャア、新たなニュータイプたちが繰り広げる戦争を描いています。
「Zガンダム」ではエゥーゴとティターンズ、そしてアクシズの三大勢力が武力的な衝突や政治的戦術などを駆使して争う、少し大人向けの作品かと思います。
物語の中心は、主人公であるニュータイプの少年カミーユ・ビダン、かつてのジオンの赤い彗星ことシャア・アズナブルであるクワトロ・バジーナらを中心に進んでいきます。
地球圏が舞台となる宇宙世紀のガンダム世界観に熊本弁が残っているのかは不明ですが、彼らのセリフを熊本弁に置き換えてみましょう。今回は作中でも名シーンとして名高い「クワトロのダカール演説」より抜粋。
第37話 シーン1
第37話「ダカールの日」より。物語上でも非常に大きな転機となる、クワトロがティターンズを糾弾する演説シーンより。
原文
「私はエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉であります。話の前に、もうひとつ知っておいてもらいたいことがあります。……私はかつて、シャア・アズナブルという名で呼ばれたこともある男だ」
熊本弁
「私はエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉であります。話ばすっ前にもう一個ばっか知っといてもらいたいことがあるとです。……私はかつて、シャア・アズナブルという名で呼ばれとったこともある男ばい」
ポイント
(一部にはバレバレだったけど)遂に自身の正体を明かすクワトロ。この後、ジオン・ズム・ダイクンの息子であることも話し、キャスバル=シャア=クワトロという事実が世間に公表されることになります。
……しかしこの格好いい演説も熊本弁にすると、とても親しみやすい感じに。ある意味この方が人の心は掴みやすいのかも。
せっかく親しみやすい雰囲気になるんだったら、ハマーン相手にも(スパロボ作品のように)向き合えれば……。まあ、それができないのがシャアという男なんでしょうけれど。
第37話 シーン2
同じく第37話「ダカールの日」クワトロの演説より。人類の地球からの自立を訴えるシーン。
原文
「人は長い間、この地球という揺り籠の中で戯れてきた。しかし、時は既に、人類を地球から巣立たせる時が来たのだ。その後に至って、なぜ人類同士が戦い、地球を汚染しなければならないのだ」
熊本弁
「人はなぎゃー間、この地球という揺り籠ん中で戯れてきたと。ばってん、時は既に、人類ば地球から巣立たせる時が来たったい。そん後にたい、なーんで人類同士が戦って、地球ば汚染せにゃならんとやて」
ポイント
シャア達が度々口にしている「魂を重力に引かれる」など、シャアの人類への考えや後の葛藤が伺える名ゼリフです。この思想が後々、シャアの反乱へと繋がっていったのでしょうか。
余談ですが、劇場版ではこのダカール演説が丸々削除されています。劇場版にも良い場面はあるのですが、いまいちそのせいか好きになれません。
……で、このセリフも熊本弁だと、いまいち真面目な感じが減るのは否めません。幼少期より居住地を転々としてきたシャアですが、熊本弁訛りの土地で育たなくてよかったなぁ。
第37話 シーン3
これも第37話「ダカールの日」より、演説を終えて宿敵であったアムロと語らうシーン。
かつてのライバルと再開し、同じ立場として共闘する。非常に燃えるシチュエーションです。
原文
「地球に居残った人を宇宙に上げようというのだ。こんな大仕事に、ひとりやふたりの人身御供はいるよ」
「私は人身御供か」
「人身御供の家系かもな」
熊本弁
「地球に居残った人ば宇宙にあぐっていいよっつたい。こぎゃん大仕事に、ひとりやふたりの人身御供はいるばい」
「私は人身御供や」
「人身御供の家系かんしれん」
ポイント
Z時代は唯一まともに会話ができていたアムロとシャアですが、熊本弁だとより一層フレンドリーな感じに。これならこのまま仲良くやっていけそう。
アムロとシャアって、思ったよりも直接会話していたことって少ないですよね。グリプス戦役後はシャアが行方をくらまして、数年後唐突にシャア総帥のご登場ですし。
まとめ
ガンダムシリーズでは比較的シリアスな「Zガンダム」でも、やはり熊本弁だとシリアス感が緩和されるような気がします。
「Zガンダム」や他のガンダムシリーズについても、今後また熊本弁化をしようかと思います。